garakutagoya

興味、関心のあったこと、そして私の気持ちなどを残していきたい

日記。その13

我々はよく勘違いをする。例えば「男性が働き、女性が家事をする。という事はそれほど不自然ではありません。他の種を見ると、その多くは性別によって役割を分担しています。だから我々人間も性別で役割を分けるべきなのです。」これは勿論誤りである。性別で役割を分けるべき理由が自然だからとなっているからである。
上の例を自然主義的誤謬という。つまり、上の誤りは何かというと自然である事を非難してはならないという事である。このような誤りは他にもしばしば遭遇する。「同性愛は遺伝的なものであるから、非難してはならない。」というのもこの誤謬の例となる。
これの正しくない点は自然である事がそのまま政治、社会的にも良いと考えている点だ。現実はもちろんそうでない。反自然的であるからこそ人間を発展させたケースは山ほど存在する。
そして、自然主義的誤謬は良くないばかりか寧ろかなり悪く、危険な考えなのである。まず、実践的な面でまずい。「男性は強さを示す本能上、女性を虐待するのが自然である」という証拠が遺伝子の研究や、実証実験で証明された場合、その行為を非難出来なくなるからだ。また、遺伝的な素質の違いが示された場合、男女差別は正しいものとなってしまう。
同性愛にしたってそうだ。この論理で同性愛の正当性を主張してしまうと、同性愛が遺伝的な形質である事が実は誤りだった場合、それを主張する事は困難となってしまう。また、後天的に同性愛を選ぶ人は非難してよいのかとなってしまう。
以上の点で自然主義は非常に脆いのだ。なぜ脆いのか?事実と規範を混同しているからだ。何をもって善とするか、何をもって悪とするか、何をもって美とするか、そのような価値観は事実とは異なる。事実がこうであるから価値観もこうである、というようにするのは価値観を狭く歪めてしまうのだ。
客観的な視点と道徳的な視点は異なる。我々は常にこれを意識していないと、ナチスドイツを代表として差別の歴史が繰り返されてしまうのだ。