garakutagoya

興味、関心のあったこと、そして私の気持ちなどを残していきたい

日記。その15

認知的不協和とは何だろうか?これは人が自分の認知と別の認知を抱え、それに不快感を示す心理学の用語である。これが問題となる場面は何か。人間はこれを解消するために、行動をしてしまう点だ。
有名な例をあげよう。ある人がいて喫煙をしている。喫煙はガンのリスクが高まる為すべきではない。これは矛盾となる。ガンになると知りながら喫煙をする事となってしまうからだ。この認知を解消する方法は二つある。まずタバコを禁煙する事だ。しかし多くの場合それは無しえない。何故か。ニコチンには強い依存性が認められるからだ。喫煙そのものをやめるには相当の覚悟と時間が必要である。そのため、多くの人間は楽な方を選ぶ。それは何か。ガンのリスクが高まる事実を歪めるのだ。例えば、「喫煙者でも長生きする人はいる」、「タバコより有害な物はいっぱいある」というようにしてガンのリスクを誤魔化そうとするのだ。
他の例をあげよう。精神的に不安定な人(いわゆるメンヘラ)がクズと結びつきやすいのもそうだ。彼らは自己肯定感が低く、自分の事を大事に思ってくれる人がいるとその人から見た自分と自分とで価値観の相違により認知的不協和が発生するのだ。したがって、そういう人から離れてしまい、自分を蔑ろにする人の下へ行き、ぞんざいに扱われる事で、自分の認知と相手からの認知を一致させるのだ。ストックホルム症候群もこの例である。
これを改善するための一番良い方法は積極的に認知のアップデートを行っていくことである。「自分はこうだから...」と思い込み、可能性を閉ざすのではなく、もっと動き、自分を変えていく必要がある。そのためには何が必要か?知識だ。これは学問に限らない。たとえモテなくても「どうせ俺なんて...」と自分の認知を固定する必要はないのだ。ファッション、話し方、身振りを勉強し、どうしたら相手にされるかを考え、アップデートを図っていくのだ。そうなれば人は変わっていく。認知の不協和で相手を変えるように、外界を変えるように動くな。まず自分を改めよ。それは苦しいかもしれない。決して楽ではないだろう。それでも、自分を変える、変革をもたらす事にはそれだけの価値があるのだ。心を変えろ!