garakutagoya

興味、関心のあったこと、そして私の気持ちなどを残していきたい

日記というかなんというか、要するにJournal前の思索。その4

あなたは過去に戻りたいと思ったことがあるだろうか?そう聞かれたらきっと多くの人がはいと答えるだろう。過去に戻って失敗を取り返したい、競馬や競艇、宝くじの結果を知って大金持ちになりたい、もっと彼女の事を大事にしてあげれば良かった、もっとたくさん両親に会っておけばよかった、等々過去に戻りたい理由は各々色々なものがあるだろう。
しかし、よく考えて欲しい。もし君が過去に戻ったからといって、君の願いが叶う保証などどこにもない。我々、そして人間はある結果に対しての原因を一つ見つけた時、思考を単純化させるためにそれしか原因がないと思いがちだ。しかし現実はそうではない。様々な事象、因果が縺れ、その果てに一つの結果が生じているのである。つまり、過去に戻って一つの事象を変えたとて、現在、そして未来が変わるとはとても言えないのだ。
それだけではない。そもそも過去に戻るという事自体、新たに別の結果を生み出す事もあるだろう。たとえそれを君が望んでいたとしてもそうでないとしてもだ。それによって未来が好転するか?いやいやそんな事起きてみなきゃ分からないだろう。全ては神に委ねられているのだ。
ここまで読んだ辛抱強い君はもしかしたらこう考えているかもしれない、「だったら何度でも過去に戻って望む結果になるまでそれを繰り返せば良いんじゃないの?」と。これには二つの誤謬がある。
まず一つとして現実は確率の世界ではないという事だ。正確には、現実空間において、ある事象が特定の結果に収束されるかどうかなどは全く分からないという事だ。
確率の世界には"大数の法則"と呼ばれるものが存在し、現実世界でもこれが適用されると考える人もいる。例えば、「十回連続で赤信号だから次は青信号!」みたいにね。
しかし、この思い込みには全く正しくない。というのも信号の色は独立した事象でないからだ。交通量を調整するため、信号は適度なタイミングを計り色を変えている。一方で確率が収束する条件は事象が独立している時にすぎない。
現実世界も当然そうだ。何かと何かが複雑に絡み合い、その結果何かが起きる。独立している(あるいは独立しているとみなせる程影響を無視できる)、といった事象の方がずっと少ないだろう。その点において、何度過去に戻っても、何度未来を変えても、あなたの望みは叶わないかもしれない。
では、もしも、現実世界が収束するとしよう。その場合、収束の方法はきっといくつか考えられるだろう。一つは枝分かれ的な収束方法だ。過去を変えた時点で未来が分岐し、"過去を変えていない未来"、"過去を変えた未来"として分かれる形である。この仮説はきっと過去を変える人間にとってはもっとも都合が良いだろう。なんてったって自分の望むがまま過去に戻り、未来を再構築出来るからである。しかし、これでは全てが救えているとは言えない。"過去を変えた未来"にいる自分は幸せだが、"過去を変えていない未来"にいる自分は結局のところ何も変わっていないのだ。ただ、他の"未来"を認めなければこのような状況には陥らない。他の"未来"を観測するのは非常に困難なのだから。しかし、これは自分自身の手で新たな"未来"を創り出した事を否定する考えであり、パラドックスが生じるだろう。
では他の収束方法は何が考えられるだろう。それは勿論"未来"はただ一つというものだ。我々がいくら過去に戻っても"未来"は変えられない。残念でした。
しかし、この考えにも問題が生じる。それは"未来"に至る過程が変化している事だ。本来行き着く"未来"にそのまま行ったのと、過去に戻ってから行ったのとでは"未来"の辿り着き方に変化が生じるだろう。そこで気になるのは過程とはどこまでを指すかという事だ。つまり、結果とは何かという事である。この世の全ての事象は何かの過程であり、結果でもある。つまり、この過程は"結果"なのか、この結果は"過程"なのか、それは分からないのである。もしかしたらあなたにとって重要な結果は実は"過程"かもしれなくて変える事が出来るのかもしれない。では、"過程"と"結果"を決めるのは誰だろうか。もちろん神であろう。我々が創り出したごちゃごちゃの"過去"や"未来"、"過程"や"結果"その全てを監視できる上位存在にしかこの世界は分からないのである。
最後になるが果たしてタイムマシンは本当に作れないのだろうか?今あげたように論理的にも、そして特殊相対性理論という物理学的側面でもタイムマシンの開発は非常に困難であるといえる。しかし、もし、未来にタイムマシンがあったとして、我々が今いる現在は本当に我々が本来送るべき現在だったのだろうか?もしかしたら過去が変わった事で生じた”未来”の上に生きているのかもしれない。しかし、それは神のみぞが知るのである。