garakutagoya

興味、関心のあったこと、そして私の気持ちなどを残していきたい

日記というかなんというか、要するにJournal前の思索。その5

かつて、日本のネット文化の一つに「キリ番」というものがあった。キリ番とはキリのいい番号の略、例えば100番や777番、12345番などである。当時のネット、特に個人ブログといったものにはアクセスカウンターというものがついており、ちょうど1000番目のようなキリ番でアクセスした人は「キリ番記念カキコ」といったようにキリ番でそのブログのコメント欄や掲示板に書き込みしていたものだ。

では、なぜかつてキリ番といった文化が流行ったのだろうか。これは偏に当時のネット人口の少なさというものがあるだろう。2000年代前半、ネットにアクセスする為にはパソコンを所有していなければならず、そのパソコンも今ほど安くなく、また便利ではなかった。つまり、当時の人間からしてみればネットというのは敷居の高いものであり、即ちそれはネットを扱う人口の少なさを意味する事になる。つまり、当時は今よりもずっとネット人口が少なく、それ故、ユーザー一人一人との繋がりが必然的に強いものとなる。

その中で、キリ番、そしてそれを報告するという事はブログの運営者と閲覧者の一つのコミュニケーションとして活用されたのだ。「キリ番を踏んだ」という理由があれば、閲覧者は気軽に運営者とコミュニケーションを取りやすく、また閲覧者もキリ番という存在のお陰で正当な理由をもって運営者と会話する事が出来る。そのコミュニケーションこそが古き良きネットを形成していたのだ。

ではなぜ今キリ番という文化が廃れたのだろうか。まず一つとしてネットが気楽になりすぎたという事がある。今ではスマホ一つだけあればネットを使う事ができ、現代人でネットを使った事が無い人はほとんどいないだろう。多くの人数がネットを使っている事は必然的に一人一人のコミュニケーションは薄くなる。そう言った中でわざわざキリ番を踏んだとしても報告するという事はやるはずがないだろう。そこまでネットに深いコミュニケーションは求められなくなっているのだ。

また、ネットワーク上の人間の増大によってキリ番というものの意味も変わっているだろう。それなりに人気があれば、アクセス100件というのは今では1分かからず達成できるだろう。つまり、昔と違いキリ番はもはやそれほど運営者にとってはレアなものではないのである。そのため、キリ番を取った時の謂わばラッキーと言った感情も今となっては昔よりずっと薄いだろう。そして、その程度のものをわざわざ運営者に報告する閲覧者は昔よりずっと奇特な存在となってしまうのだろう。

それ以外には個人ブログの激減というものがあげられる。現状、調べて出てくる殆どのブログは企業が運営しているものであり、アフィリエイト広告でお金を稼いでいるものも多い。これは、企業の運営するブログが個人ブログよりずっと内容がまとまっているという面もある一方で、SEO対策といって圧倒的に個人ブログよりも前に検索に出やすいというのもあるだろう。ともかく、企業が運営しているブログがわざわざキリ番なんかを考えるかと言うと、その答えはノーだろう。その理由としてはアクセス数が個人ブログとは桁が違うため多く、キリ番が多すぎる事に加えて、一々キリ番に対して対応するだけ金と人が無駄になる点があげられる。つまり、昔のネット上の馴れ合いは、企業からしてみれば運営に非効率であり、その影響でキリ番が排斥されていったのだろう。

現状、キリ番というのは高速化するネット社会に取り残され、そのまま消えてしまいそうだ。しかし、このようなくだらなくも、しかしゆるくあたたかい文化こそネット上で人と人とのコミュニケーションを楽しむための手段であった事はまぎれもなく事実だ。いつか、私がもう少し歳を取り、完全にキリ番の文化が無くなったとしても、アクセス数を見て、良い並びの数字だったらそっと微笑む、そんな人間でありたい。