garakutagoya

興味、関心のあったこと、そして私の気持ちなどを残していきたい

日記というかなんというか、要するにJournal前の思索。

私は半年前から個別指導の講師のアルバイトを始めました。そこで受け持つ生徒は多くの場合学校での勉強についていけていない人が多く、教えるのも一筋縄ではいきません。例えば、ある生徒に積分を教えていた時に、その生徒は「先生のお陰でわかった!」と言ってくれました。しかし、その生徒にその範囲の宿題を課し、翌週の授業で確認したところ、ほとんど出来ていませんでした。私は「どうして出来なかったの?」と問いかけると、その生徒は「分からなくなった。」と答えたのです。
この経験から私は二つの事を学びました。まず一つは生徒の「分かった!」をあまり信用しない事です。そもそも、一回やそこらの授業で生徒が理解出来るのならば、親はわざわざ高いお金を払って子供を個別指導に通わせる必要はありません。あの「分かった!」はあくまで納得したという事の意思表示、つまりまだあの段階ではインプットされただけにすぎないのです。そのため、その段階でアウトプットを怠ると、自然と知識が抜けていき、結局授業で得たものが何もなくなるのです。
それ以上に大切な事は生徒に教えすぎない事です。特に講師のバイトを始めたてであったり、生徒の意欲が高く教える事が楽しい時にありがちなのですが、我々はついつい不必要な事柄まで喋りすぎてしまうのです。必要な情報を喋り、それに加えて新たな情報を喋る事は良い事のように感じられますが、必ずしもそうではありません。初学者やその分野をあまり知らないものにとっては、その情報はどれが必要でどれが不要かの見極めを阻害してしまいます。つまり、情報のランク付けが出来なくなってしまいます。もしそれが出来なくなると、結果としてインプットすらままならず、何も定着しないまま授業が終わってしまうのです。

これを読んでいる人の中には「じゃあ最初に「これは余談ですが」とでも付けたらいいじゃないか。」と思う人もいるかもしれません。しかし不思議なもので好奇心旺盛な若者というのはどういうわけか「余談」のはずの話に強く食いつき「品筋」の話がなんだか忘れてしまうのです。これも一種のカリギュラ効果なのでしょう。ともかく、教えすぎる事は有益なばかりか無駄な混乱を招く恐れがあります。
私はこの経験から、授業内で生徒に講義をした後、必ず演習の時間を確保することにしています。また、生徒に教えすぎないよう、適度なタイミングで授業に全く関係のない雑談をしています。ただこれも不思議なもので生徒は雑談ばかり覚えているのに肝心の授業が全部頭からぬけていくんですよね。