garakutagoya

興味、関心のあったこと、そして私の気持ちなどを残していきたい

日記というか何というか。要するにJournal前の思索。その9

この世の中にはトイレットペーパーというものが存在する。私も、君も、そして日本の多くの人もまた、これを常日頃から使っているだろう。トイレットペーパーは通常我々が文字を書いたり印刷したりする紙に比べて高級で、ナイーブな素材が使われている。というのもトイレットペーパーに必要な紙の素材は水や液体状の何かで破れなく、かつ水に溶けなければいけないものと難しいのである。今回は少し、トイレットペーパーについてお話ししよう。
トイレットペーパーが出来たのは1963年、日本製紙クレシアが初めて製造した。今でこそだいぶリーズナブルな価格となっているが、当時のそれは高級品。1ロール単位で個別包装されており、すぐ使う分だけを買っていくような扱いであった。その後、6ロール、8ロール、12ロールと徐々に増えていき、現在主流なのは12ロール分を8ロールに巻きつけているものである。
海外ではどうだろうか。(https://www.nrdc.org/sites/default/files/issue-tissue-how-americans-are-flushing-forests-down-toilet-report.pdf) にあるNRDCの文書によると、世界で一番一人当たりのトイレットペーパーの使用量が多いのはアメリカである。トップ3は全て欧米諸国である。その理由としては欧米のトイレットペーパーの質が日本ほど良くなく、たくさん使わないと役割を果たせない点が指摘されている。とはいえ、そこでもトイレットペーパーを使う習慣は根付いており、日本のそれと大差はないだろう。
一方でそうでないところもある。例えばインド。ヒンズー教徒の多いインドでは、未だに紙で尻を拭く文化が普及していない。ヒンズー教の教義では左手は不浄なものとされているため、右手で食事を行い、左手で拭くという事だ。正直かなり不潔に感じるが、今もそれを貫き通す人が多いのである。
インドだけではない。多くの発展途上国では未だにトイレットペーパーは普及していない。その理由は上に挙げた宗教的なもの以外にも技術的な側面もあげられる。当たり前の事であるが、トイレットペーパーは使った後流さなければならない。しかし、下水道の整っていない途上国では、たとえトイレットペーパーがあったとしてもそれを流せないため、使用した紙をゴミ箱に捨て、まとめてしまう事が多い。そのため、わざわざ高いトイレットペーパーを使わず、適当な紙、時には大きな葉っぱ等の紙ですらないものを使って後処理を行うわけだ。
以上の通り、どこにでもあるように見えるトイレットペーパーというのは実はさして当たり前ではない事が分かっただろう。先進国による環境破壊の原因として上のようにトイレットペーパーの使用量が騒がれるのもそのためだ。突っ込んだ言い方をすれば、下水道が整っており、衛生観念もきちんとしている先進国でしかトイレットペーパーは活用出来ないのである。しかし、だからといって我々はトイレットペーパーが当たり前にあるなんて思ってはいないだろう。何とか耐えてたくさんノックをしてトイレに入った時、トイレットペーパーが無かった時の怒りと焦りといったらそれはもう相当のものだろう。我々は紙がある事に感謝し、今日もカラカラ鳴らすのだ。